自然体で生きる、感じる

新潟県津南町の山深い場所で暮らしています。地域のこと、日々のことを素直にありのままに伝えていきたいと思います。

今、自分が何のためにここにいるのか、思うこと。

ブログは外向けに発信する予定ですが、見事に4月以降更新していません。

今後どんな形で発信するか気まぐれすぎてよく考えてないですが、

ちゃんとことばにまとめるのは大事な行為だなと思いました。

 

ということで、今日は完全に内向きなテーマです。

fbやインスタに直接ことばにする勇気がなく、ブログという形に落ち着きました。

よろしくお願いします。

 

今日のテーマは、【なぜこの地に、今生きているのか】という内容です。

 

先日、インスタに、今いる環境でもがいている、的なことを書きました。

その時私は、自分で好きでこの地を選んだはずなのに、なぜ今は結構苦しい環境に耐えているのだろう、ということを思いました。(この辛さというのは、自分の嫌な部分にも直面せざるを得ないために苦しさが上回ることが多い、的な意味です)

 

苦しいことが先立つので、何のためにここに来たのか、ということを忘れてしまいそうになります。ここに来た目的を改めて思い返してみました。

 

 

大自然の環境で、滞在ではなく生活をしてみたい。

②生活の知恵をじいちゃんばあちゃんから学び、便利な物に頼りすぎない暮らしを目指したい。

③自分の得意な技を習得し、お金を稼ぐ術を身につけたい。更には、自分が人に温かく迎えてもらったように、人がほっとして集まれるような場を作りたい。

 

以上の3点が大きな理由です。

 

しかし、今、自分と、人とぶつかって立ち直って、と波ある生活を日々していると、

①は間違いない理由であるけれど、②は今自分の中で比重は大きくないと感じました。

 

 

③に関しては、そこが最終目標でもあるけれど、その前にやるべきことがあると感じる日々です。人が集まれるような場所を作りたい、という以前に、人を迎える立場になるということは、それだけその人に魅力があり、その人の人柄が感じられ、人として温かい人でなければその役目は果たせないと思っています。

ですが、未熟な私ですので、その”人をもてなす大らかさ、優しさ、温かさ”が私には、欠如していると感じています。その人間性を育てるという面は、私が乗り越えねばならぬ課題なのだと思います。

 

 

だから今、何のためにここに来たのか、いるのか、と問われたときに、

”人間として成長するため””人との関わりの中で、思いやりや気遣い、時には嫌なこともちゃんと相手に伝える勇気、人にちゃんと向き合うこと”

そういった、人とのやり取りの中で生まれ育っていく社会性を育てるためだと答えると思います。

恥ずかしいですね。今の今まで、私は何をしてきたのだろう、と反省しました。

 

自分が目指す人間像は、”人をもてなす大らかな温かいおばあちゃん”。

そういう人に近づくために、今わたしは必死で、26年間蜜でなく、表面的な関係でもあった人との付き合いや、親子関係、自分勝手な行動を改めています。

 

頑張ります。2019年の夏は、沢山のことに気が付くことができました。

いろんな人に沢山迷惑をかけたり、不快な思いをさせてしまったり、

まだまだな自分ですけど、もがいて何とか人間らしく生きていきます。

よろしくお願いします。